浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)802号 判決
原告
長澤妙子
右法定代理人親権者父兼原告
長澤守
同法定代理人親権者母兼原告
長澤美津子
右原告三名訴訟代理人
紙子達子
椎名麻紗枝
江藤鉄兵
保田行雄
桑原宣義
被告
浦和市
右代表者市長
中川健吉
右訴訟代理人
饗庭忠男
小堺堅吾
主文
原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
(債務不履行による請求について)
第一準委任契約の成立について
原告妙子が昭和五二年五月一九日埼玉県大宮市所在の至誠堂病院において、原告守、同美津子の長女として出生し、同日直ちに市立病院へ転院したこと、被告が地方自治法に基づく地方公共団体であつて、その事業の一として市立病院を設置経営していること、原告妙子の法定代理人たる原告守、同美津子と被告との間に右同日被告が原告妙子を看護保育する事務処理を目的とした準委任契約が成立したこと及び被告が番場医師、高塚医師を履行補助者として右契約に基づく義務を履行させた事実は、いずれも当事者間に争いがない。
第二本件医療事故の発生とその経緯
原告妙子が在胎週数二七週、生下時体重一、〇〇〇gで出生したこと、同原告は市立病院において保育器に収容され、番場医師の指示によつて看護保育を受けていたが、本症が発症したので昭和五二年六月三〇日午後二時ころ東京都世田谷区に所在する国立小児病院へ転院し、同日から四回に亘つて光凝固による治療を受けたが治癒せず両眼が失明するに至つた事実は、当事者間に争いがなく、右の事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ〈る。〉
一原告美津子は、嘗つて二回流産し、三回目に原告妙子を身籠つたので、浦和市の高田クリニックで検診を受け、その後切迫流産の兆候がみられたため同クリニックの医師から安静を命ぜられ入院したこともあつたが、昭和五二年五月一八日夜分娩の兆候があつたため、分娩施設のある至誠堂病院に入院し、翌一九日午前一時一三分原告妙子を分娩した。原告妙子は在胎週数二七週生下時体重一、〇〇〇gの未熟児であつたため市立病院小児科に入院し番場医師の看護保育を受けることになつた。同病院は、未熟児保育設備として、アトム型保育器、酸素、空気供給設備、持続陽圧式呼吸器、エアベッド、脈拍、呼吸数等の自動監視装置並びに経皮的動脈血酸素分圧測定装置等を備えた病院であつて、同五二年三月ころより慶応病院眼科から高塚医師が出向していた。
二右転院時における原告妙子は、活動は不活発で、皮膚の色は著しく紅潮し、体重は九七〇g、低体温であつたため、直ちに保育器に収容され、それから昭和五二年六月三〇日(以下、原告妙子の症状についての時期はいずれも昭和五二年当時のものである。)まで看護保育を受けた。その間における同原告の状態、同病院の処置等の詳細は、別紙経過表(一)、(二)記載のとおりであり、その概要は、以下のとおりであつた。
(一) 原告妙子の呼吸状態は、芳しくないことが多く、無呼吸発作は五月二一日から酸素の投与を停止した六月一六日まで一九日間、陥没、不規則呼吸は入院期間中殆んど毎日のように出現し、皮膚色不良は五月二五日から六月一〇日までの間に一〇回出現、そのうち四回がチアノーゼであつた。また、徐脈もほとんど毎日のように出現した。番場医師は、呼吸障害に対する処置として、皮膚刺激を与え、エアベッドを用いて体に動揺を与えたほか、五月二七日から六月三日まで持続陽圧式呼吸器(シーパップ、呼気の際の肺胞の虚脱を防止するため、気道に圧力を加えて残気量を増加させる装置。)を用いた。
(二) 次に、酸素療法についてみると、先ず五月二五日に強い無呼吸発作が出現し、刺激を与えても回復しなかつたので蘇生のため、濃度一〇〇%の酸素を一〇リットル、五、六分間投与したほか、以後別紙経過表(二)記載のとおり酸素療法がなされた。酸素濃度の調節は、PaO2、PaCO2およびPH値や無呼吸発作、チアノーゼ、腹満などの出現の有無および活動の活発性など原告妙子の全身状態を考慮して行われた。なお、PaO2値は、当時六〇ないし八〇ミリHgであつて一〇〇ミリHgを超えないのが好ましいとされ、PaCO2およびPHの正常値はそれぞれ四〇ミリHg、7.3前後とされていた。原告妙子の右の各測定値および酸素(O2)濃度は別紙経過表(二)のとおりである。これによると、PaO2値は、五月二五日は重い無呼吸発作のため四〇ミリHgと低かつたが、シーパップの使用や酸素投与を開始した後の同月二八日には一時一四〇ミリHgと上昇し、その後はおおむね六〇ないし一〇〇ミリHgの範囲内に止り、六月七日からは不降を始め六〇ミリHgを前後する状態となつた。PaCO2値は、当初五〇ミリHgを超え五月二七日には一時74.5ミリHgに達したが、それから下り始め、ほぼ四〇ミリHgから三〇ミリHgの間に安定した。PH値は、当初7.1位であつたが五月二八日から理想的な7.2前後に落ち着いた。なお、これらの測定は、臍動脈カテーテルによる採血分析、或いは経皮的測定装置により行なわれた。以上のように酸素の投与は、五月二五日から六月六日までの間は酸素濃度ほぼ四〇%以内で上下し、六月七日以降は徐々に量を減少し、六月一六日をもつて終了した。なお、六月七日以降酸素の投与が減少し始めたのは、皮膚色不良が出現しなくなり、無呼吸発作も稀となつて、それ以上の投与は不要になつたためである。
(三) 体温は、入院時33.5度(直腸温)と著しく低いものであつたが、それから保温に努められた結果、常時ほぼ36.0度から36.5度の間に維持され、良好であつた。体重の推移は、別紙経過表(一)記載のとおりで、特に異常は認められない。
三本症のⅡ型を発症し易い極小未熟児については、その発症の有無、経過その治療の適期などを把握するため、全身状態の許す限り生後約三週間ころまでに眼底検査をする必要があつたので、番場医師から連絡を受けた高塚医師は、原告妙子につき、その生後二三日目である六月一〇日、次いで同月一五日、二二日及び二九日に、いずれも番場医師の立会いの許に眼底検査を行つたが、その所見の概要は、別紙経過表(三)記載のとおりである(ただし、六月二九日の眼底所見のうち、全周にわたり凹凸のある境界線が存し、出血を認め、硝子体への隆起を認めるとの事実は、当事者間に争いがない。)。
高塚医師は、六月二二日原告妙子の右眼に本症の初期像の発生を認めたが、同原告の網膜血管はすでに森実医師の定義によるⅡ型圏(後記第三の二の(三))を越えて発達していたこと、後極部血管にうつ血がなかつたことから本症例はⅡ型ではなくⅠ型の一期と考えていた。また、六月二九日においても、右と同様の理由からⅡ型とは診断しなかつたが、両眼ともに血管末端部の凹凸や硝子体への発芽が見られたことからⅠ型でも予後不良のものと考え、光凝固の適応時期と判断した。そして同日中に慶応大学病院に受入れ方を依頼したが、ベッドが満床であつたため断わられ、次いで国立小児病院眼科の森実医師に依頼し、翌三〇日午後二時ころ原告妙子を右病院に転院させた。
四森実医師は、原告妙子を受入れた後直ちに眼底検査を実施したが、その所見は、血管の蛇行はⅡ型圏を越えているが、血管の叢状の走行状態や硝子体発芽の様相がⅡ型の観を呈していることから、いわば広義のⅡ型に該当するものと診断し、直ちに右眼につき一二一発、左眼につき一二三発、その後、七月四日に右眼七九発、左眼六五発、同月一四日に右眼五〇発、左眼一四発更に同月一九日に左右眼に各六〇発、いずれも凝固野五度、閃光強度一、虹彩絞り八の光凝固を施行したが本症の進行を止めることができず、原告妙子の両眼は網膜が剥離して失明した。
第三本症について
〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ〈る。〉
一本症とその発生原因並びに予防について
(一) 本症は、未熟児の眼球に発生する病変であり、未熟児の網膜において新生血管が異常な増殖性変化を示し、重症化した場合は瘢痕による牽引または滲出によつて網膜剥離を招来し、重大な視力障害を残すものであつて、テリー(Terry)が一九四二年(昭和一七年)水晶体後部線維増殖症(RLF)と名付けたものである。なお、ヒトの網膜は胎生四か月までは無血管であるが、これを過ぎると乳頭から上下耳鼻側の四方向に血管が発達を始め、鼻側で胎生八か月、耳側で同九ないし一〇か月程でこれを完成するものといわれており、また、未熟児という用語については、世界的に統一された定義は存しないが、我が国の小児科領域の慣用語によれば、一般に出生体重が二、五〇〇g未満の児を未熟児といい、そのうち特に一、五〇〇g未満(在胎週数はほぼ三二週以下。)の児を極小未熟児、一、〇〇〇g未満(在胎週数はほぼ二八週以下。)の児を超未熟児と称されている。
(二) 未熟児は、呼吸系器官が未熟であるため、殊に特発性呼吸窮迫や無呼吸発作を起し易く、そのため低酸素による脳性麻痺などの障害を招来し、これに対しては酸素療法がなされていたが、一九四〇年代に保育器が市販され酸素の効率的な使用が可能になると、酸素使用は一般的かつ日常的なものとなつたが、これとともに本症が多発するに至つた。そして、本症の発生原因については、光説、ビタミンE欠乏説、ウイルス説、副腎皮質ホルモン不足説等種々の説が唱えられたが、これらの説には、完全に否定されたもの、今日なお検討されているものもないではないが、本症が在胎週数の短い者、生下体重の少ない者、酸素投与期間の長かつた者に多く発症していることが注目された結果、キャソベル(Cam-bell)が、一九五一年本症の発生は酸素の過剰使用と関連することを提唱し、パッツ、ランマン(Lanman)が、一九五四年ころそれぞれ未熟児を低酸素グループと高酸素グループに分けて対照研究を行い、後者の方が本症の発生率が高いことを報告し、また、アシュトン(Ashton)及びパッツが、そのころ網膜の発育段階がヒトに類似する子猫などを用いてそれぞれ動物実験を行つた結果、酸素に曝すと発育途上の網膜血管の閉塞が起こり、やがて新生血管の増殖、硝子体への発芽が生ずる(但し、時間の経過により正常となる。)ことを発見報告するなどして酸素説が有力となつた。そこで、アメリカ小児科学会は、一九五六年一月酸素は日常的に投与すべきではなく、全身チアノーゼや呼吸障害のあるときにだけ用いるべきであり、又、酸素濃度はこれらの症状を良くするために必要な最小限度、できれば四〇%を越えないようにすべきであるとの勧告をし、以後本症の発生は全世界的にみて激減したといわれる。
ところが、一九六〇年アベリー(Avery) とオッペンハイマー(Oppenheimer)によつて、酸素を制限した五年間とそれ以前の自由使用時代と比較すると、前者に脳性麻痺罹患率や呼吸障害による死亡率が増加したことが報告され、また、マクドナルド(McDonald)によつて脳性麻痺と本症の発生率は互に逆の関係にあると指摘されるに及び、特発性呼吸障害症候群など酸素投与が不可欠な未熟児に対し、酸素を長期に亘つて使用すれば重症の未熟児網膜症を発症する危険があり、逆に酸素の投与をできるだけ短期間に止めようとすれば無酸素症による後遺症としての脳性麻痺を発症したり死亡を来す可能性が大になるという、二律背反に直面した。
しかしその後、肺機能や呼吸状態が良好であると四〇%以下の酸素でもPaO2値の上昇を招き、これらが不良であれば高濃度の酸素であつてもPaO2値は上昇しないことから、本症の発症は、環境酸素濃度によるものではなく、動脈血中の酸素濃度の上昇であると考えられるに至つた。そこで、PaO2値を測定しながら酸素療法が行われるようになり、アメリカ小児科学会は、一九七一年、酸素療法においては、PaO2値を正常新生児のそれと同様の値である六〇ないし一〇〇ミリHgに保つこと、PaO2値測定のための採血部位は、橈骨又は側頭動脈もしくは臍動脈カテーテルによる下行大動脈からとするなど九項目の勧告を出した。その後アメリカにおいては、新生児の集中監視施設(NICU)の普及とともに、呼吸、脈拍などを連続測定し、またPaO2値を頻回に測定しながら酸素管理を行い、成果を挙げているといわれ、パッツのおおまかな総括によると、酸素自由使用時代には瘢痕性RLF罹患児は年間約二、五〇〇人であつたが、酸素のきびしい制限の時代のそれは二〇〇人未満、その後はやや増加し二〇〇人前後である、という。
(三) 我が国においては、植村恭夫教授が、昭和三九年に本症は我が国においても発生しておりまだ過去の疾患ではないとの警告を発して以来、多くの調査研究がなされた。
1 本症の発生率についての報告例をみると、以下のとおりである。
天理よろず相談所病院未熟児室において、昭和四一年四月から同五〇年一二月までの間に保育した出生体重二、五〇〇g以下の未熟児四一一例について調査した結果によれば、本症の全体における発生率は14.6%、出生体重別発生率は、一、〇〇〇g以下一〇〇%(もつとも一例のみ)、一、〇〇一gから一、二五〇gまで七五%、一、二五一gから一、五〇〇gまで52.4%、一、五〇一gから一、七五〇gまで27.7%、一、七五一gから二、〇〇〇gまで7.1%、二、〇〇一gから二、二五〇gまで3.8%、二、二五一gから二、五〇〇gまで3.3%、Ⅰ型で三期まで進行した症例または混合型の症例はすべて一、五〇〇g以下の未熟児であつたとし、名古屋市立大学未熟児病棟で昭和四九年一月一日から同五〇年六月三〇日までに保育した四七〇例について調査した結果は、本症の全体における発生率は32.3%(ただし、二期以上なら17.5%となる。)、出生体重別発生率は、右天理病院のそれと同一の区分けで一、〇〇〇g以下からみると、順次一〇〇%(そのうち三期以上まで進行したもの42.8%)、82.8%(同48.3%)、73.0%(同15.8%)、48.1%(同7.4%)、23.6%(同2.8%)、6.1%(同〇%)、4.5%(同〇%)であり、また、Ⅱ型についてはその症例が少ないので傾向がつかみにくいが、福岡大学医学部眼科学教室において、昭和四九年一月から同五三年一二月までの間にⅡ型と診断した症例二九の調査によると、出生体重はすべて一、五〇〇g以下であつてそのうち二二症例は、二、二〇〇g以下、又は在胎週数二八週以内の出生であつた、とされる。
2 次に、出生体重、在胎週数以外の発生因子の調査についても、酸素の使用量や期間及び無呼吸発作、その他の呼吸障害の出現と、本症の発生ないし重症化との関連を指摘する報告が多いけれども、全く酸素を使用しない症例、僅かしか使用しなかつたのに発症した症例も報告されている。
(四) 日本小児科学会新生児委員会は、昭和五二年八月に至りアメリカにおける前示酸素療法に関する勧告やわが国における研究の成果を踏えて、「未熟児に対する酸素療法の指針」として、酸素の投与は慣行的に行うべきでなく、低酸素血症が存する場合に限ること、低酸素血症の存在は、PaO2値によつて判定し、PaO2値が測定不可能な場合には中心性チアノーゼ(躯幹の皮膚や口唇のチアノーゼ)によつて推定すること、PaO2は、正常児の場合は六〇ないし一〇〇ミリHgであるが、低酸素血症を伴なう未熟児に投与する場合は六〇ないし八〇ミリHgに保たれるようにすること、投与する酸素濃度は、PaO2値の測定結果により調節するものとし四〇%という線には固執しないこと、指示された酸素濃度が保たれているかどうかを調べるため一日数回吸入気体の酸素濃度を測定し記録すること、PaO2測定のための理想的な採血部位は側頭動脈、橈骨動脈または掌側固有指動脈であるが、臍動脈カテーテル捜入による下行動脈からの採血でもよいこと、患児の状態が改善していく場合はPaO2を正常域に保ちつつ酸素濃度を注意深く下げできる限り短期間で中止できるようにすることなどを発表した。
二本症の診断基準について
(一) オーエンスやリース(Reese)そのた他の研究者らによつて本症の臨床経過につき種々の分類法が発表されたが、我が国においては主としてオーエンスのものが引用された。オーエンスの分類法は、本症の臨床経過を大別して活動期、回復期および瘢痕期とし、さらに活動期を血管期、網膜期、初期増殖期、中等度増殖期、高度増殖期に、また瘢痕期を瘢痕の程度に応じて一度ないし五度の五段階に、それぞれ分類したものであつた。
(二) しかしその後、眼底検査機器の発達、技術の進歩によつて眼底の病変を高い精度で把握することが可能となつたこと、我が国においては、本症の治療法として光凝固、冷凍凝固が登場したが、その診断、治療面において眼科医の間においてもその基準に統一を欠くきらいがあつたこと及び従来の分類に該当しない経過を辿るラッシュタイプないし激症型と呼ばれるものの存在が明らかにされたほか、自然治癒の症例が多いことなどから、本症に関する診断、治療基準を明確にする必要が生じ、昭和四九年我が国における本症研究の権威者らによつて構成された昭和四九年度厚生省未熟児網膜症研究班によつて本症の診断及び、治療基準に関する研究が開始され、同五〇年三月同研究班から「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」が発表された。右研究報告は、オーエンスの分類を基礎として本症を臨床経過および予後の点より次のように分類し、治療の基準を示した。
(活動期)
1 Ⅰ型 主として、耳側周辺に増殖性変化をおこし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離へと段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型である。
一期(血管新生期)網膜周辺、ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白に見える。後極部には変化がないか、軽度の血管の迂曲怒張を認める。
二期(境界線形成期)網膜周辺、ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。
三期(硝子体内滲出と増殖期)硝子体内への滲出と血管およびその支持組織の増殖とが検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも血管の迂曲怒張を認める。また、硝子体出血を認めることもある。
四期(網膜剥離期)明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から全剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの期に含まれる。
自然緩解は、二期までに進行を停止した場合には視力に影響を及ぼすような不可逆的変化を残すことはない。三期においても自然緩解は起り、牽引乳頭に至らずに治癒するものがあるが、牽引乳頭、襞形成を残し弱視となるもの、頻度は少ないが剥離を起して失明するものがある。
2 Ⅱ型 主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼におこり、血管新生が後極よりに、耳側のみならず鼻側にも出現し、それより周辺部の無血管帯が広いものであるが、ヘイジイ、メディアのためにこの無血管帯が不明瞭なことも多い。後極部の血管の迂曲、怒張も初期より見られる。Ⅰ型と異なり、段階的経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い比較的速い経過で網膜剥離を起すことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良の型のものをいう。
3 混合型 右の分類の他に、極めて少数ではあるが、Ⅰ、Ⅱ型の中間に位置する混合型ともいえる型がある。
(瘢痕期)
一度 眼底後極部には著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網脈絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は正常のものが大部分である。
二度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄班部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄班部が健全な場合は視力は良好であるが、黄班部に病変が及んでいる場合は、種々の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。
三度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとり込まれ、襞を形成し周辺に向つて走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は0.1以下で、弱視又は盲教育の対象となる。
四度 水晶体後部にも白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり、盲教育の対象となる。
(三) 森実医師は、昭和五一年一月昭和四九年度の前示厚生省研究班の報告において、症例が少なく比較的曖昧な定義づけがなされていた本症のⅡ型について、その眼底所見の特徴を検討し、その診断基準を発表した。それによると、Ⅱ型の診断は、次の三要素が揃つた場合は確定しうるが、実はこれだけの症状が揃つた時期は相当進行した段階であり、これ以後の進行増悪は極めて急激な経過をとるのが通例であるという。
a 血管の迂曲怒張―網膜動脈が、後極部はもとより四象限すべての方向に向い迂曲し、さらに静脈の怒張も加わる。
b 吻合形成―血管帯と無血管帯との境界部に新生血管が叢状をなし、吻合形成が多数認められ、所々に出血斑も存在する。
c 血管帯の位置が特殊な圏に存在する―この特殊な圏とは、耳側は黄斑部外輪予定部付近、鼻側は視神経乳頭から二ないし三乳頭経の範囲に、a、bの血管を含めた血管帯が一周し存在するもので、この圏をⅡ型圏という。
森実医師の右のⅡ型の定義は、その後植村教授や永田医師らの研究者にも採用された。
次に、永田医師は、昭和五一年一二月混合型の特徴について、広い無血管帯が全周に見られるが血管帯の位置がⅡ型ほど限局された圏内になく、赤道部よりやや後極部よりくらいまでの位置に存在し、Ⅰ型と同様灰白色の境界線を形成するが、通常この境界線は湾入多く、有血管帯の中にも島状に無血管領域が存在することもあり、二期の早期から後極部血管の迂曲怒張が目立ち、進行も比較的急速で、週二回の経過観察を繰り返す毎に明らかに病状の増悪がみられる旨の見解を発表した。
(四) さらに、植村恭夫、馬鵜昭生、大島健司各教授及び永田誠、原田政美の各医師は、原告妙子の出生後である昭和五八年二月、前記厚生省研究班報告に再検討を加え、活動期の診断基準および臨床経過分類の一部についての改正、すなわちⅠ型の活動期を五期に分け、三期を三段階に区分し、Ⅱ型の説明を詳しくし、「混合型」の表現を「中間型」に改めることを検討した。その結果によれば、三期(硝子体内滲出と増殖期)を初期、中期、後期の三段階に分け、初期は極く僅かな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に牽引性変化が加わつた場合とすること、四期(部分網膜剥離期)は、三期の所見に加え、部分的網膜剥離を認めた場合とすること、五期(全網膜剥離期)は、網膜が全域にわたつて完全に剥離した場合とすること、Ⅱ型は、主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼におこり、赤道部より後極側の領域で、全周にわたり未発達の血管先端領域に、異常吻合及び走行異常、出血などがみられ、それより周辺は広い無血管領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著明な蛇行怒張を示す。以上の所見を認めた場合Ⅱ型の所見は確定的となる。進行とともに網膜血管の蛇行、怒張はますます著明になり、出血、滲出性変化が起こり、Ⅰ型のごとき緩徐な段階的経過をとることなく、急速に網膜剥離へと進む、とされる。
三本症の治療について
(一) 本症の治療については、本症の発生原因についてビタミンE欠乏説や副腎皮質ホルモン不足説が唱えられたことと関連し、今日においてもなおビタミンEやステロイド剤を投与している例がみられるが、これらの有効性については、疑問が持たれている。欧米においては、予防に重点が置かれ、酸素療法に関する研究と比較して治療法に関する研究は乏しい。しかし、我が国においては、永田医師が昭和四二年成人の糖尿病性網膜症の治療に用いられていた光凝固を本症に初めて適用し、成功例として報告し(別表(四)の番号1)、その後同人はじめ、多くの研究者、医師らがこれを試みるようになり、また、山下由起子医師は冷凍凝固(冷凍凝固については、装置が安価な代りに、凝固の強さ、部位、大きさを正確にコントロールするという点では光凝固に劣ると一般に考えられている。)を行つてその成果を発表した。本件資料に現われた凝固例報告のあらましは別表(四)のとおりである。
また、永田医師は、昭和四七年、本症の中には急速に進行する場合の存することを指摘したうえで、これに対する光凝固の適応を述べ、大島健司教授も同四八年に、いわゆる激症型の特色を述べ、これに対する早期の光凝固の必要を指摘した。
(二) しかし、光凝固は欧米においては殆んど採用されておらず、その有効性、奏効機序も明らかでなく、未熟な網膜に対する侵襲を伴なうものであつて、しかも、本症は自然治癒傾向の強いものであるところから、光凝固の濫用は避けなければならないとされていることや対照研究がなされていないことなど、本症の治療については多くの未解決な問題が残されていたので、前示厚生省研究班の報告も、現段階では決定的な治療基準を示すことは極めて困難であるとしながら、適切な時期に行われた光凝固或いは冷凍凝固によつて治癒しうることが多くの研究者の経験から認められているので、各病型別に現時点における治療の一応の基準を示すことにした。それによると、Ⅰ型は自然治癒傾向が強いので二期までの病期のものには治療を行う必要なく、三期においても治癒可能性が少なくないから更に進行の徴候が明らかでないときは治療に慎重であるべきこと、Ⅱ型については血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いので、Ⅰ型のように進行段階を確認しようとすると治療時期を失うおそれがあるため、治療の決断を早期に下さなければならないが、この型は、極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件を備えた例では綿密な眼底検査を可及的に早期より行うことが望ましく、無血管領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は、直ちに治療を行うべきであること、また、光凝固の方法について、Ⅰ型においては、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し後極部付近は凝固すべきではなく、無血管領域が広い場合は境界線領域のほか更にこれより周辺側の無血管帯に散発的に凝固を加えることもあるとし、Ⅱ型においては、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、後極部保全に注意が必要であるとする。
第四本症と酸素との関係及び光凝固について
一以上に認定説示した欧米および我が国における調査や実験による研究の結果などに鑑みると、本症の発生機序については、現在においても明らかにされたということはできない。しかし、本症が、出生体重が少なく在胎週数も短い未熟児に発症し易いものであつて、それは酸素投与と密接な関係を有するとの前示事実からすると、未熟児における動脈血酸素分圧の上昇が第一次的効果として未熟な網膜血管を収縮させて、遂いにその先端部を閉塞させ、続いて酸素供給の停止による第二次的効果として無血管帯の網膜が無酸素状態となり、異常な血管新生、硝子体への血管進入、後極部血管の怒張、蛇行が起きて本症の発生をみる、との酸素説にも傾聴すべき点が存する。他方何故未熟な血管が酸素に敏感に反応するのか、動物実験で本症類似の状態を発生させても時間の経過により正常となる(可逆的である。)が、ヒトの場合には何故不可逆的な状態まで進行するのかが明らかでなく、更に酸素を全く投与しなかつたものや僅かしか投与しなかつたもの及びPaO2の上昇がなかつたのに不可逆性の本症が発症したとの事例に徴すると、本症の発生原因については、未熟児の網膜における血管の未熟性、その他直接又は間接に発症の原因となる因子の存在も否定することができない。そうすると、酸素は本症発生の唯一の原因ではないとしても、それが最も重要な誘因の一つであることは依然として否定されていないものといわなければない。
二次に、光凝固は、既に認定したとおり、欧米においては殆んど採用されず、その奏効機序も明らかでなく、未熟な網膜に対する侵襲を伴うものであって、しかも本症は自然治癒傾向の強いものであることや、対照研究のなされていないことなどからすると、いまなお多くの問題点が残されているものといわなければならないが、本症については他に適切な治療方法が存せず、むしろ適期になされた光凝固によつて本症を治癒し得ることが多くの研究者の経験から認められ、その診断及び治療基準も一応確立されているのであるから、現在においても、被告の主張するように、その有効性を直ちに否定することはできないものといわなければならない。
第五被告の帰責事由の有無について
被告は、原告妙子の失明につき番場、高塚医師に過失は存しなかつた旨主張し、原告らは、原告妙子の失明は右両医師の過失によるものであると抗争するので、以下、この点について検討する。
一番場医師について
原告妙子は在胎週数二七週、生下時体重一、〇〇〇gの極小未熟児であつて、市立病院に入院中の昭和五二年五月二五日から同年六月一六日まで番場医師によつて酸素の投与を受けたこと、同原告は本症によつて失明したが、酸素が本症発生の重要な誘因の一つと認むべきことは、前示第二の一、二、第四の一において認定説示したとおりであるから、番場医師が原告妙子に酸素を投与するに当つては、同原告の生命を維持するため緊急の必要ある場合などは格別として、当時の医学界で承認された水準の範囲内の酸素療法に止め、もつて本症の発生の誘因たらしめざるよう注意すべき義務の存することは多言を要しないところであるが、前に認定した第二の二の(二)、第三の一の(二)及び(四)の事実によれば、番場医師は五月二五日原告妙子に対し濃度一〇〇%の酸素一〇リットルを五、六分間投与したが、これは同原告の身体的条件に鑑み右原告の生命を維持し脳性麻痺を防止するための止むを得ない措置といわなければならないし、その余の酸素投与の量及び濃度については、右原告の全身状態に応じ、かつ、PaO2、PaCO2及びPH値を測定しながら調節してなされ、その期間も二三日間に止つたものであつて、当時の医学界で承認された水準の範囲内においてなされたものと認めるを相当とするから、番場医師に酸素療法上の過失があつたと認めることはできず、その他同原告の全身管理に非難すべき点も認めることができない。
二高塚医師について
(一) 前示第二の三において認定した事実によれば、原告妙子が本症のⅡ型を発症し易い極小未熟児であつたところから、高塚医師はその発症の有無、経過、その治療の適期などを把握すべく、昭和五二年六月一〇日から同月二九日まで四回にわたつて眼底検査を実施した結果、同月一五日には、原告妙子の両眼ともに鼻側に無血管帯あるも血管はⅡ型圏を出ていることを認め、同月二二日には、右眼の耳側、鼻側ともに血管の蛇行及び新生血管を認めたので、本症の発症を認め、転院直前の同月二九日には、その眼底所見(別紙経過表(三))に基づき本症は予後不良のⅠ型で光凝固の適応にあると診断し、翌三〇日国立小児病院に転院させたこと、同日右病院の森実医師はこれを広義のⅡ型と診断したというのであるが、高塚医師の右診断をもつて直ちに誤りであると断定することはできない。なぜならば、原告妙子は本症のⅡ型を発症し易い極小低出生体重児に属する者ではあるが、高塚医師の右診療時点における眼底所見によれば両眼の血管が森実医師の定義によるⅡ型圏を越えて発達しており、境界線も形成されていたというのであつて、証人森実秀子の証言によれば原告妙子の右時点における右の如き所見では、Ⅰ型の経過を辿るものも、またⅡ型に進む症例も存し、いわばその分岐点に当るものであるが、当時Ⅱ型の初期像は存しなかつた、というのであり、更に、翌三〇日国立小児病院へ転院した時点においても、その治療を担当した森実医師において、Ⅱ型と断定するについては疑問があつたものの、血管の分岐の仕方、吻合の形などから予後不良のものと考え、Ⅱ型に準じて治療すべきものとしてこれを広義のⅡ型と診断したというのであるから、原告妙子の症状を右六月二九日の時点において、昭和四九年厚生省未熟網膜症特別研究班報告にいうⅠ型の二期と判断した高塚医師の診断に誤りがあつたと認めることはできない。
なお、原告らは、高塚医師は昭和五二年六月二二日の時点において原告妙子の本症につきⅡ型ないし混合型を予見すべきであり、かつ眼底検査を懈怠した過失があると主張するが高塚医師が原告妙子の本症の発症の有無、経過などを把握するため四回にわたつて同原告の眼底検査を実施し、その結果同月二二日本症の発生を認めたが、その進行が緩慢であり同月二九日の眼底検査においてもⅡ型の初期像は存しなかつたが、Ⅰ型の予後不良なものであつて光凝固適応と判断し、翌三〇日同原告を国立小児病院に転院させたことなど右の説示した事実関係に徴すると、高塚医師が原告妙子を本症のⅡ型ないし混合型と予見しなかつたことをもつて過失と認めることはできないし、また原告妙子の本症の経過に照らして、同医師が眼底検査を懈怠した事実は存しないものといわなければならない。
(二) さらに、原告らは、高塚医師は転院の時期を失したと主張するので、この点につき検討する。
森実医師のみた転院当時における原告妙子の眼底所見は、第二の二、三、四に認定したとおりであつて、森実医師はこれを広義のⅡ型に属するものと診断したのであるが網膜剥離や滲出性変化は生じていなかつたのであるから、その当時実践されていた前示光凝固の治療時期に関する見解によつても、治療の時期を失したものとは認められず、このことは証人森実秀子の証言によつても窺知得るところであるから、高塚医師に転院の時期を失した過失があつたということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
第六結論
原告妙子の失明につき番場医師及び高塚医師に過失が存しないこと、すなわち被告に帰責事由の存しないことは、以上に説示したとおりであるから、被告に対し債務不履行を理由とする原告らの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当として排斥を免れない。
(不法行為による請求について)
原告妙子の失明につき番場医師及び高塚医師に過失の存しないことは、右に説示したとおりであるから、その使用者たる被告に対する原告らの損害賠償の請求も失当である。〈以下、省略〉(長久保武 榎本克巳 坂野征四郎)
経過表(一)ないし(三)、別表(四)〈省略〉